問68、「新約において、キリストはいくつの礼典を制定なさいましたか。」

答え、「2つです。聖なる洗礼と聖晩餐です」 

                                                           ハイデルベルグ信仰問答第25主日───────────────────

  私たちの人生のはいろいろな儀式が伴います。また世界でも多くの儀式を見ます。たとえば結婚式がありますし、また葬式といったこともあります。入学式や卒業式と行ったこともあります。外国では戴冠式といったことなどもあります。 さて、旧約聖書を見ますと、そこにも儀式があります。神様はアブラハムと契約を結んでくださいました。それは、神様が彼らの神となってくださり、また彼らが主の民となるということでした。そしてそのことの印として、イスラエルの民に生まれて8日目に割礼という儀式を受けることを命じました。ですから生まれてからイスラエルの家庭に生まれた男子の幼児は生まれて8日目に、家族の者が見守る中、この儀式を受けました。そのときは民にとっては大きな喜びの時でした。

 ところで、新約聖書の時代には、この割礼の儀式は、イエス様が旧約時代の律法の戒めである割礼の儀式の目的を全うされたとことから、この儀式は廃止されました。 その代わりに救い主であられるイエス様は2つの儀式を行うように命じられました。それらは、洗礼と聖餐式の儀式でした。それが主の御命令に寄っていると言うことは、新約聖書を見て参りますとわかります。たとえばマタイ伝の28章の19節と20節を見ますと次のように語られています。すなわち、「 28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と、このように語られています。  イエス様はここで弟子たちにむかって、あらゆる国に出て行って人々を弟子としなさいと命じました。この弟子とするというのは誰の弟子にするのかと言いますと、イエス様の弟子とすると言うことです。つまり福音を述べ伝えることによって、その福音を聞いた人々が、イエス様を救い主として信じて従うようにさせなさいと言われたのです。そしてその弟子となった人々に対してイエス様は、「父と子と聖霊との名によって、バプテスマを施しなさい。」と言われたのです。

 「父と子と聖霊の名によって」と言うことは三位一体の名によってと言うことで、三位一体の神の主権と権威に基づいてということです。そしてそのなすべきことは、洗礼を授けるということです。ここではバプテスマと言われている、洗礼のことです。

 この洗礼というのは、割礼に関係があります。神様は旧約時代には、主の民であるという印として割礼を受けることを命じられ、それに預かる者が主の民の一員であるといわれました。そして、この洗礼というのは、同じような意味があったのです。つまりそれはイエス様によって命じられたのですが、その儀式を行うことによって、その洗礼を受ける者はイエス様によって神の民の一員とされたという事実を示す印とされたのです。つまり、人が神様の御前で罪の許しを受け、神の子とされるのは、ただイエス様を救い主として信じるその信仰に寄ります。しかしその信じた人々が神様の子ですという目に見える印を授けられるのは、この洗礼によるといっているのです。 ですからこの洗礼を受けることによってその人は神の民の集まりである教会の一員とされます。洗礼を受けなければ救いに預からないというのではありません。そうではなくて、信じたならば、洗礼を受けなさいと言うのです。そうすることによって主は、その人々が今イエス様によって救われていて、神の民の一員とされています、ということを目に見えかたちで示してくださっているのです。 もう1つの儀式は、聖餐式です。この儀式は、キリストの御名によって、パンを食べ葡萄酒を飲むという儀式に預かることです。これも主から行うようにと命じられたことでした。 この儀式は、主から命じられたことであるという事実は、パウロがコリントの教会の人々に書いている手紙の中にもうかかい知ることができます。次のように彼は語っています。すなわちⅠコリントの11章の23-25節ですが、「11:23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、 11:24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」 11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」ですからこれを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」と、このように語っています。 つまりこの儀式を先ほどの洗礼の儀式と同じように主の名によって行いなさいと命じておられたるのです。 この儀式は何を意味しているのかと言いますと、ここで「これは私の血による新しい契約である」と、語られてやはり契約の印であることを告げています。この契約は、先の割礼の時に与えられた契約と同じように、神の民に与えられた契約です。イエス様を救い主として信じた時に、神の民とされたと言うことを、繰り返して私たちがわかるように、目に見える印として与えられた儀式であるのです。つまり、この聖餐式は、イエス様が私たちの罪のために身代わりとなって死んでくださり、それによって私たちが罪赦されて神の民とされたという恵みの事実を証しするものなのです。だからパウロはこの点を語って「ですから、これを食べ、これを飲むたびに、主の死を告げ知らせるのです。」と語っているのです。また、「飲むたびに」と、言うのですから、この儀式は何度も行われます。  新約時代に与えられたこの洗礼式と聖餐式の2つのみが、主から与えられた儀式として守られ、その双方が、私たちが神様の前で罪の許しを受け、神の子とされたのはただイエス様の十字架の死によっているのです、と言うことを証ししているのです。